【コ】 木霊 木霊というのは、「ヤッホー!」と叫ぶと「あほー!」と返してくる山彦の意と木に宿る霊、または神の意がありますが、今回は後者の方。
私の好きな本に、梅原 猛先生の書かれた「森の思想」が人類を救う―二十一世紀における日本文明の役割 という本があります。梅原哲学は私に一番影響を与えた思想の1つですが、この本はそのエッセンスを分かりやすく著したものだと思っています。1言で言うと、森の文化と呼ばれる縄文文化の思想、自然と共生し、世界は循環しているという思想が21世紀の世界を救うという、大変大胆な内容なのですが、本を読み進めていくと,なるほど!、と思えるようになります。
縄文文化というのは、世界の文化の中でも特異な文化で、他にあまり類似のものはないようです。森と人とが共生した時代でもありますが、人間同士もお互い自然の一部として平和に暮らしていたのではないかと思っています。たとえば縄文時代の集落、三内丸山遺跡と弥生時代の吉野ヶ里遺跡を比べると、一番違いを感じるのは、集落を取り囲む塀、多分外敵を防ぐために設けられたものかと思いますが、吉野ヶ里にはあって、三内丸山にはありません。そして、この森と共生した平和というのは、そのままアイヌの世界にも引き継がれている気がします。アイヌの集落は、アイヌモシリといいますが、アイヌは人、シリは土地、でモというのは、うーん、穏やかに過ぎゆく、とでも訳すのでしょうか。砦とか、ヨーロッパのポリスとかのイメージはないですね。
また、17世紀から18世紀にヨーロッパやロシアの冒険家たちがアイヌの人々と接した時の印象も、皆アイヌは穏和であり、純朴であると書いています。特に、ロシアのクルウゼンシュテルンの記したものは、アイヌの特徴を表していると思います。
「和合、穏和、親切、厚意、謙虚、これらの本当に希有な特質は、すべて洗練されてた文化によるものではなく、単に彼らの自然の性格の表現であり、これらによって、今まで知っている民族のうちで、アイヌがもっとも良い民族であると思うようになった。」
で、これらの良い特性というのは、自然とともに、自然の中で暮らすことによって、自然のありようそのままに,自然の1部として生きることで獲得した性質だと思うわけです。

時代は過ぎて、近代になっても、日本人の心のどこかに、この森と共にあった時代の名残は残っていると思うのです。アスファルトの上に生きていても、神社の大木とか、いわゆる巨木に神や霊を感じませんか?アイヌ風に言うと木のカムイとなるのでしょうね。巨木というのは、遙か昔に暮らしていた森の象徴的な存在かもしれません。
前に、HPで、材は森からの預言者と書いたことがありますが、私にとって、家具を作る材は、森からのミアンゲであり、森の心を伝える預言者でもあります。
森から材を得るということは、材から作品を作ると同様、私の木工にとっては大事なプロセスです。あれ、そうすると端材をストーブで焚いて天に戻すのは、イヨマンテ(ソレを送る)ですね。今度からイナウでも飾りましょう。(笑)
長くなってしまったので、このへんで。最後にお気に入りのアイヌの挨拶をご紹介します。
イランカラプテ
あなたの心にそっとふれさせてください。
森の心が、あなたの心にそっとふれますように。(^v^)/~
<今回は木霊のイラスト!?が書けませんでしたので、リンクにも掲載しましたナチュラルマジックさんの了解を得て、写真をお借りしました。 m(_ _)m>
posted by Armchair Forest Walker at 20:51|
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